壬生の花田植(2)
早朝の雨は止み、初夏の日差しがじりじりと照り付け始めました。
午後は暑くなりそうです。
1時頃から始まる花田植を目指し、壬生神社を出発した十数頭の飾り牛が商店街を練り歩きます。 我々も一緒に会場に向かいます。

花田植が行われるのは8アールの水田ですが、関係者と観光客で周囲がびっしりと埋め尽くされています。テレビカメラも数台。
さあ、いよいよ花田植のスタートです。
まず飾り牛が水田に入り代掻きをします。後ろに繋がれた鋤のようなもので田の中に模様を描くように進んでいくのです。


そして、サンバイ(花田植全体の指揮をとる責任者)、早乙女(苗を植える女性)、囃し(大太鼓や小太鼓、手打鉦や笛でにぎやかに囃したてる人達)、稲持ち(早乙女に苗を渡す人)などが水田に入り準備万端整いました。

華やかな田園絵巻の始まりです。
周囲を埋め尽くした観光客らが一斉にカメラのシャーターを切ります。

早乙女たちが前かがみになって一心不乱に苗を植えていきます。

早乙女たちの晴れの衣装は、かすりの着物に名古屋帯、腕には手甲、脚には脚絆をはめ、菅笠に黄色い締緒。襷の色は手前の川東田楽団がピンク、奥側の壬生田楽団が紅白という華やかさ。

早乙女の後ろでは囃しの人達が体を前後左右にくねらせながら太鼓のバチを振るいます。
それにしても見ている人間でも立ち眩みをおこしそうな炎天下の中、2時間弱も繰り広げられる早乙女や囃し達のパフォーマンスは素晴らしい。

凄いと言うべきなのか、立派と言うべきなのか、この伝統を後世に残そうという執念を感じます。体から滲み出るエネルギーというものが伝わってきます。

ちょっと小休憩。

すぐに再開します。

日本晴れのこの日、水田に早乙女たちの姿がきれいに映ります。

半分くらい済んだでしょうか。

こちらは反対側の壬生田楽団。 かすりの柄と襷の色が違います。

あともうちょっとで植え終わります。

花田植で繰り広げられる光景というのは農耕民族たる日本人の体内に流れる血に共鳴するというのか、筆舌に尽くしがたい感慨を呼び起こされる気がします。
いやぁ、本当にいいものを見させていただきました。

早乙女の方も本当にお疲れ様でした。
この素晴らしい伝統行事が未来永劫伝承されていくことを心から祈念します。
さて、
花田植の会場の近くに特設のテントが張られており、地元の特産品などが売られていました。
観光客たる者、現地でしっかり買い物をして、地域の活性化に協力しなくては。

アマゴの塩焼き、もちろん買いますよ。
びっくりしたのは「どぶろく」を売っていたこと。
北広島町の豊平という地域は、いわゆる「どぶろく特区」だそうだ。


それにしても売っている酒まで日本酒のルーツというべき「どぶろく」とは。
冷蔵庫で保管すれば半年もつという言葉にひかれ購入しました。
最後に酒でオチがつくところが熱燗放浪記でした(^・^)
午後は暑くなりそうです。
1時頃から始まる花田植を目指し、壬生神社を出発した十数頭の飾り牛が商店街を練り歩きます。 我々も一緒に会場に向かいます。

花田植が行われるのは8アールの水田ですが、関係者と観光客で周囲がびっしりと埋め尽くされています。テレビカメラも数台。
さあ、いよいよ花田植のスタートです。
まず飾り牛が水田に入り代掻きをします。後ろに繋がれた鋤のようなもので田の中に模様を描くように進んでいくのです。


そして、サンバイ(花田植全体の指揮をとる責任者)、早乙女(苗を植える女性)、囃し(大太鼓や小太鼓、手打鉦や笛でにぎやかに囃したてる人達)、稲持ち(早乙女に苗を渡す人)などが水田に入り準備万端整いました。

華やかな田園絵巻の始まりです。
周囲を埋め尽くした観光客らが一斉にカメラのシャーターを切ります。

早乙女たちが前かがみになって一心不乱に苗を植えていきます。

早乙女たちの晴れの衣装は、かすりの着物に名古屋帯、腕には手甲、脚には脚絆をはめ、菅笠に黄色い締緒。襷の色は手前の川東田楽団がピンク、奥側の壬生田楽団が紅白という華やかさ。

早乙女の後ろでは囃しの人達が体を前後左右にくねらせながら太鼓のバチを振るいます。
それにしても見ている人間でも立ち眩みをおこしそうな炎天下の中、2時間弱も繰り広げられる早乙女や囃し達のパフォーマンスは素晴らしい。

凄いと言うべきなのか、立派と言うべきなのか、この伝統を後世に残そうという執念を感じます。体から滲み出るエネルギーというものが伝わってきます。

ちょっと小休憩。

すぐに再開します。

日本晴れのこの日、水田に早乙女たちの姿がきれいに映ります。

半分くらい済んだでしょうか。

こちらは反対側の壬生田楽団。 かすりの柄と襷の色が違います。

あともうちょっとで植え終わります。

花田植で繰り広げられる光景というのは農耕民族たる日本人の体内に流れる血に共鳴するというのか、筆舌に尽くしがたい感慨を呼び起こされる気がします。
いやぁ、本当にいいものを見させていただきました。

早乙女の方も本当にお疲れ様でした。
この素晴らしい伝統行事が未来永劫伝承されていくことを心から祈念します。
さて、
花田植の会場の近くに特設のテントが張られており、地元の特産品などが売られていました。
観光客たる者、現地でしっかり買い物をして、地域の活性化に協力しなくては。

アマゴの塩焼き、もちろん買いますよ。
びっくりしたのは「どぶろく」を売っていたこと。
北広島町の豊平という地域は、いわゆる「どぶろく特区」だそうだ。


それにしても売っている酒まで日本酒のルーツというべき「どぶろく」とは。
冷蔵庫で保管すれば半年もつという言葉にひかれ購入しました。
最後に酒でオチがつくところが熱燗放浪記でした(^・^)



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壬生の花田植(1)
6月3日日曜日の話
広島県北広島町の伝統行事「壬生の花田植」を見学しました。
昨年の11月にユネスコの世界無形文化遺産に登録されたニュースも手伝ってか、もの凄い見物客で、地元の方に「毎年こんなに多いんですか。」と聞くと、
「いや、今年は特別です。去年の倍以上かもしれない。」とのことでした。
さて、日本酒がテーマのこのブログで何故壬生の花田植を扱うのか、ですが、
熱燗放浪記を始めたのは、日本が誇る酒の文化、熱燗の文化というものを自分なりに掘り下げていき、その魅力を発信していきたい、ひいては日本そのものの伝統や文化の素晴らしさを自分自身で再確認したいという気持ちの表れでした。
壬生の花田植は、太古の昔から今に至るまで、日本の食の根幹である稲作に根差した伝統行事であり、豊作を神に祈った昔の人々の大切な儀式でした。
酒造りも元をただせば米造りであり、そのルーツは一つです。
この広島県の山間部に脈々と受け継がれてきた素晴らしい伝統である「壬生の花田植」を理解することは、稲作文化はもちろんのこと日本の歴史や日本人そのものを理解することにもつながると考えた所以であります。
6月3日日曜日、広島経済同友会の文化振興委員会が企画した「壬生の花田植」視察会に参加させていただくことになり、広島県庁前に9時半に集合、チャーターしたバスに乗り現地に向かいます。
約1時間で目的地たる北広島町に到着しました。
日頃は静かな山間の街も、この日は大勢の観光客で賑わいます。
軒先には花田植の幟が掲げられ、壬生商店街では1頭の飾り付けが終わった牛が我々を出迎えてくれます。



途中で昔の農機具や花田植に関連した道具なども展示してあります。

風情ある食堂に入り一杯やりたいという欲望を抑えつつ、

飾り牛の準備会場である壬生神社に向かいます。

牛達はよほど訓練されているのか、金箔が施された見事な鞍や帯で飾り付けが終わるまで、いい子にしています。


11時を過ぎると、地元の壬生小学校5年生達が子供田楽を披露しながら商店街を行進します。26人の5年生達は、この日のために1年間練習し、大役を終えると今度は4年生にバトンタッチされるそうです。


こちらの渋い食堂もひっきりなしにお客さんが出入りしてます。

この日だけで平日の数十倍の売り上げがあるのではないでしょうか。
私も暑いのでジュースを買いました。 クリームソーダなんですが、こんなジュースがあるんですね。

さて、近くの公民館で準備していただいた弁当やビールで腹ごしらえをしながら、本日案内役をしてくれた神戸大学の大学院生の方(壬生の花田植の研究をしているそうです。)の説明に耳を傾けたり、パンフレットに目を通します。
広島県北西部の農村地帯には古くから「囃し田」という行事があり、特に壬生の大地主が所有する田で行われた「大田植え」は、江戸時代後期から明治時代にかけて、この地方最大の「囃し田」として近郷にその名を知られていたそうです。
しかしながら昭和になる頃、残念なことに、いったん消滅してしまったそうです。
その後地元の壬生商工会の人たちが中心となって「壬生の囃し田」が再興されました。
その頃から花やかで美しい田植えという意味で「花田植」と呼ばれることになったそうです。
さあ、いよいよ花田植の本番の見学に向かいます。(以下パート2に続く)
広島県北広島町の伝統行事「壬生の花田植」を見学しました。
昨年の11月にユネスコの世界無形文化遺産に登録されたニュースも手伝ってか、もの凄い見物客で、地元の方に「毎年こんなに多いんですか。」と聞くと、
「いや、今年は特別です。去年の倍以上かもしれない。」とのことでした。
さて、日本酒がテーマのこのブログで何故壬生の花田植を扱うのか、ですが、
熱燗放浪記を始めたのは、日本が誇る酒の文化、熱燗の文化というものを自分なりに掘り下げていき、その魅力を発信していきたい、ひいては日本そのものの伝統や文化の素晴らしさを自分自身で再確認したいという気持ちの表れでした。
壬生の花田植は、太古の昔から今に至るまで、日本の食の根幹である稲作に根差した伝統行事であり、豊作を神に祈った昔の人々の大切な儀式でした。
酒造りも元をただせば米造りであり、そのルーツは一つです。
この広島県の山間部に脈々と受け継がれてきた素晴らしい伝統である「壬生の花田植」を理解することは、稲作文化はもちろんのこと日本の歴史や日本人そのものを理解することにもつながると考えた所以であります。
6月3日日曜日、広島経済同友会の文化振興委員会が企画した「壬生の花田植」視察会に参加させていただくことになり、広島県庁前に9時半に集合、チャーターしたバスに乗り現地に向かいます。
約1時間で目的地たる北広島町に到着しました。
日頃は静かな山間の街も、この日は大勢の観光客で賑わいます。
軒先には花田植の幟が掲げられ、壬生商店街では1頭の飾り付けが終わった牛が我々を出迎えてくれます。



途中で昔の農機具や花田植に関連した道具なども展示してあります。

風情ある食堂に入り一杯やりたいという欲望を抑えつつ、

飾り牛の準備会場である壬生神社に向かいます。

牛達はよほど訓練されているのか、金箔が施された見事な鞍や帯で飾り付けが終わるまで、いい子にしています。


11時を過ぎると、地元の壬生小学校5年生達が子供田楽を披露しながら商店街を行進します。26人の5年生達は、この日のために1年間練習し、大役を終えると今度は4年生にバトンタッチされるそうです。


こちらの渋い食堂もひっきりなしにお客さんが出入りしてます。

この日だけで平日の数十倍の売り上げがあるのではないでしょうか。
私も暑いのでジュースを買いました。 クリームソーダなんですが、こんなジュースがあるんですね。

さて、近くの公民館で準備していただいた弁当やビールで腹ごしらえをしながら、本日案内役をしてくれた神戸大学の大学院生の方(壬生の花田植の研究をしているそうです。)の説明に耳を傾けたり、パンフレットに目を通します。
広島県北西部の農村地帯には古くから「囃し田」という行事があり、特に壬生の大地主が所有する田で行われた「大田植え」は、江戸時代後期から明治時代にかけて、この地方最大の「囃し田」として近郷にその名を知られていたそうです。
しかしながら昭和になる頃、残念なことに、いったん消滅してしまったそうです。
その後地元の壬生商工会の人たちが中心となって「壬生の囃し田」が再興されました。
その頃から花やかで美しい田植えという意味で「花田植」と呼ばれることになったそうです。
さあ、いよいよ花田植の本番の見学に向かいます。(以下パート2に続く)


