呉の至宝「戸田本店」
7月19日土曜日の話
呉の名割烹戸田本店。
平成の大合併で呉市に編入された音戸町であるが、呉で生まれ育った私には未だに「音戸の戸田」と呼ぶほうが風光明媚な景観も併せて思い起こされて味わい深い。

海軍の消滅、平成の不況などで暖簾を降ろした老舗が多い中で孤軍奮闘する一軒である。
旧海軍は階級によって利用する料亭、割烹がほぼ決まっており、それぞれ勝手に横文字の愛称をつけて楽しんでいた。
幹部クラス(佐官以上)は呉随一の高級料亭吉川(通称グッド、昭和20年空襲で焼失)、ガンルーム(青年将校)は岩越(通称ロック、昭和20年空襲で焼失)、下士官(兵曹長以下)なら五月荘(通称メイ、現在も営業中)と明確に色分けされていた。
最初から決められていたのか自然にそうなったのかは不明であるが、上官に気を遣いながら酒を飲んでも心から楽しめないのは今も昔も変わりない。 懐具合も当然違うので自ずと色分けされたのかもしれない。
上記以外にも崋山(通称フラワー)、徳田(通称ラウンド)、常盤(通称グリーン)なども海軍料亭として一世を風靡した。
ちなみに私の亡祖父は上記の崋山で便所に行く途中の廊下で当時連合艦隊司令長官だった山本五十六大将とすれ違いざま挨拶をしたことがあると子供の頃何度か聞かされた。
一方戸田本店は郊外という場所から海軍というよりは地元の旦那衆に愛された店のようである。
その美味、景観に魅かれて呉鎮守府や連合艦隊の高官も利用したのは想像に難くないが、常用というよりもお忍びの利用が多かったようである。
件の一流料亭群が海軍の消滅と共に消え去り、あるいは往時の輝きを失ったのに対して、戸田本店のみが今もって超一流の家格を保っているのもそれだけ地元で愛されていた所以であろう。
昔から見覚えのあるお馴染みの木造三階建ての建物である。

玄関に到着すると着物姿の御婦人が出迎えてくれる。
一、二階は明治時代の建築で三階部分は大正時代に増築されたという。

二階の一番奥の部屋に案内される。
全ての部屋が音戸の瀬戸に面しており、旧音戸大橋と最近完成した第二大橋を窓から臨むことが出来る。
行き交う船も様々で文字通り数時間にわたって大パノラマを満喫できるのであるが、この風景こそが戸田本店を今日たらしめている普遍の財産といえるだろう。

室内は決して豪華ではないが、質実にして剛健なる明治期の和風建築の特徴を色濃く残し所々に補修の後も散見されるが、これこそ現役で100年以上使われ続けている証しといえよう。

各部屋の欄間は瀬戸内の名勝を透かし彫りにした工芸品であるが、興味深いのは食後見学させていただいた三階の一号室である。

山本五十六大将が馴染の芸者とのお忍びで活用したとの伝説のある特別室であるが、現在も当時の姿で残されている。

他の部屋と違い話し声が外部に漏れないように欄間に透かしがない。

また他の部屋は隣の部屋と衾一枚で隔てられているのだが、三階一号室だけは隣の部屋との間に1メートルほどの隙間が設けられている。

これも海軍高官の密談が外部に漏れにくいようにとの特別な設えであるのは言うまでもない。
さて、昼は4000円、5000円、6000円の三コースがあり、夜は4000円から10000円までいろいろあるが、予め予算を申し伝えてお願いすることもできる。
この種の料亭は夜に本領を発揮するのが一般的であるが、風光明媚なる音戸の景観を満喫してこそ一席の妙がある当店は昼こそ真骨頂であるとの定評もあり、この度我々が昼の利用としたのも上記の理由によるものである。
電話で予約する際にコースの金額の差は品数の違いによるものかと素直に質問をぶつけてみたが、応対した仲居によると、品数というよりは料理のグレード、素材の差によるところが多いとのことであった。
せっかくの機会であったので一番上の6000円のコースを予約した。 これに15%の奉仕料(サービス料)と8%消費税が加わるとのことであった。 つまり総額7452円ということである。
さて問題の料理である。 店の佇まいと歴史的なエピソードが優曇華の花でも料理が不味ければ本末転倒である。
飲み物は私のみ瓶ビールを。 中瓶700円と通常の料亭価格。

まず一皿目は玉子豆腐。

いい塩梅の味付けでヒヤ酒の肴にしたらさぞ美味しかろうと思われた。
二皿目はタコと海老の酢味噌和え。

タコ、海老とも食感が素晴らしく、酢味噌も酢が勝ち過ぎず私好みの味付け。
酢味噌和えという食べ物はさほど好きではないのだが、これは美味しかった。
三皿目はタイと海老の刺身。

タイ料理こそ戸田本店の真骨頂であり、刺身は殊の外有名である。
目の前の海に浮かべてある舟が生け簀になっており、いつでも最上のタイが供給できる。

このタイ刺しはウマかった。 常温であったので捌きたてなのであろうが、
捌きたて特有の過度の歯ごたえが抑えられており私好みの食感。
半分は松笠造り。

タイの皮が大好きな私には嬉しい。
熱燗は地元の華鳩。 お銚子は昔懐かしい色っぽい河童(笑)

四皿目は鯛の骨蒸し。

これぞ鯛ソーメンと並び称される戸田本店の逸品である。
身はしっとり、出汁は柚子の風味をたっぷりと溶け込ませた秘伝のもので、
「自慢の汁なのでたっぷり飲んでください。」とお店の方の弁。
そもそもタイという魚は体の半分近くが頭であるから古来より頭をいかに美味しく調理するかが
芸予地域の料理人の腕の見せ所である。
鱗がしっかり残ったタイの御頭は慣れていない人には食べにくいであろうが、
是非骨までシャブって食べていただきたい。
五皿目はサザエの壺焼き。

弾力のあるサザエの身と焦げた醤油の香ばしさがたまりません。
六皿目はイサキの塩焼き。

見事なサイズのイサキを一匹丸ごと塩焼きしてある。
塩加減、焼き加減が絶妙で身がほっくり。
これ程魚を上手に焼いてある店は近頃稀である。
七皿目は海老の天ぷら。

このサイズで出てくればほとんど衣かと思いきや、
ほぼ海老の天ぷら。 海老がデカい。 しかもプリプリ感が半端ない。
〆はタイ飯とタイの吸い物。

これも実に美味しい。 タイの骨の出汁は本当に素晴らしい。
デザート。

完熟のメロン。 最後まで一点の隙もなし。
着物姿で接客されている笑顔の素敵な女性が女将だと思っていたが、この方はベテランの仲居さんで、実はこれほどの老舗にもかかわらず、この戸田本店にはいわゆる接客する女将はいない。
80代の女主人がおられるそうだが、ひたすら厨房で料理を作っているのだという。 これには吃驚した。
京師の名料亭をも上回るこれらの料理群を専属の料理人ではなく老女主人が全て作っていたとは!
お造りも焼き物も煮物も全て自分自身の技だそうで、後継ぎの女将(次期女主人)の腕も素晴らしいそうだが、大宴会などの大皿で供される活き造りなどはまだまだ大女将の包丁の冴えには遠く及ばないという。
手伝いの料理人が一人いるそうだが、全てこの三人で作っているという。
まったく凄い店である。

冒頭に記した15%のサービス料であるが、予約した時点では正直割高感を禁じ得なかったが、全ての料理を食べ終えた今となってはむしろ破格であるとさえ思えるのである。
これ程の建物、これ程の接客、これ程の料理がサラリーマン割烹に毛が生えた程度の価格で提供されているのは驚きである。

19世紀に開業し、激動の20世紀を駆け抜け、21世紀の今日まで看板を守り続ける戸田本店。
これは広島県というより日本の財産とも言うべき老舗である。

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呉の名割烹戸田本店。
平成の大合併で呉市に編入された音戸町であるが、呉で生まれ育った私には未だに「音戸の戸田」と呼ぶほうが風光明媚な景観も併せて思い起こされて味わい深い。

海軍の消滅、平成の不況などで暖簾を降ろした老舗が多い中で孤軍奮闘する一軒である。
旧海軍は階級によって利用する料亭、割烹がほぼ決まっており、それぞれ勝手に横文字の愛称をつけて楽しんでいた。
幹部クラス(佐官以上)は呉随一の高級料亭吉川(通称グッド、昭和20年空襲で焼失)、ガンルーム(青年将校)は岩越(通称ロック、昭和20年空襲で焼失)、下士官(兵曹長以下)なら五月荘(通称メイ、現在も営業中)と明確に色分けされていた。
最初から決められていたのか自然にそうなったのかは不明であるが、上官に気を遣いながら酒を飲んでも心から楽しめないのは今も昔も変わりない。 懐具合も当然違うので自ずと色分けされたのかもしれない。
上記以外にも崋山(通称フラワー)、徳田(通称ラウンド)、常盤(通称グリーン)なども海軍料亭として一世を風靡した。
ちなみに私の亡祖父は上記の崋山で便所に行く途中の廊下で当時連合艦隊司令長官だった山本五十六大将とすれ違いざま挨拶をしたことがあると子供の頃何度か聞かされた。
一方戸田本店は郊外という場所から海軍というよりは地元の旦那衆に愛された店のようである。
その美味、景観に魅かれて呉鎮守府や連合艦隊の高官も利用したのは想像に難くないが、常用というよりもお忍びの利用が多かったようである。
件の一流料亭群が海軍の消滅と共に消え去り、あるいは往時の輝きを失ったのに対して、戸田本店のみが今もって超一流の家格を保っているのもそれだけ地元で愛されていた所以であろう。
昔から見覚えのあるお馴染みの木造三階建ての建物である。

玄関に到着すると着物姿の御婦人が出迎えてくれる。
一、二階は明治時代の建築で三階部分は大正時代に増築されたという。

二階の一番奥の部屋に案内される。
全ての部屋が音戸の瀬戸に面しており、旧音戸大橋と最近完成した第二大橋を窓から臨むことが出来る。
行き交う船も様々で文字通り数時間にわたって大パノラマを満喫できるのであるが、この風景こそが戸田本店を今日たらしめている普遍の財産といえるだろう。

室内は決して豪華ではないが、質実にして剛健なる明治期の和風建築の特徴を色濃く残し所々に補修の後も散見されるが、これこそ現役で100年以上使われ続けている証しといえよう。

各部屋の欄間は瀬戸内の名勝を透かし彫りにした工芸品であるが、興味深いのは食後見学させていただいた三階の一号室である。

山本五十六大将が馴染の芸者とのお忍びで活用したとの伝説のある特別室であるが、現在も当時の姿で残されている。

他の部屋と違い話し声が外部に漏れないように欄間に透かしがない。

また他の部屋は隣の部屋と衾一枚で隔てられているのだが、三階一号室だけは隣の部屋との間に1メートルほどの隙間が設けられている。

これも海軍高官の密談が外部に漏れにくいようにとの特別な設えであるのは言うまでもない。
さて、昼は4000円、5000円、6000円の三コースがあり、夜は4000円から10000円までいろいろあるが、予め予算を申し伝えてお願いすることもできる。
この種の料亭は夜に本領を発揮するのが一般的であるが、風光明媚なる音戸の景観を満喫してこそ一席の妙がある当店は昼こそ真骨頂であるとの定評もあり、この度我々が昼の利用としたのも上記の理由によるものである。
電話で予約する際にコースの金額の差は品数の違いによるものかと素直に質問をぶつけてみたが、応対した仲居によると、品数というよりは料理のグレード、素材の差によるところが多いとのことであった。
せっかくの機会であったので一番上の6000円のコースを予約した。 これに15%の奉仕料(サービス料)と8%消費税が加わるとのことであった。 つまり総額7452円ということである。
さて問題の料理である。 店の佇まいと歴史的なエピソードが優曇華の花でも料理が不味ければ本末転倒である。
飲み物は私のみ瓶ビールを。 中瓶700円と通常の料亭価格。

まず一皿目は玉子豆腐。

いい塩梅の味付けでヒヤ酒の肴にしたらさぞ美味しかろうと思われた。
二皿目はタコと海老の酢味噌和え。

タコ、海老とも食感が素晴らしく、酢味噌も酢が勝ち過ぎず私好みの味付け。
酢味噌和えという食べ物はさほど好きではないのだが、これは美味しかった。
三皿目はタイと海老の刺身。

タイ料理こそ戸田本店の真骨頂であり、刺身は殊の外有名である。
目の前の海に浮かべてある舟が生け簀になっており、いつでも最上のタイが供給できる。

このタイ刺しはウマかった。 常温であったので捌きたてなのであろうが、
捌きたて特有の過度の歯ごたえが抑えられており私好みの食感。
半分は松笠造り。

タイの皮が大好きな私には嬉しい。
熱燗は地元の華鳩。 お銚子は昔懐かしい色っぽい河童(笑)

四皿目は鯛の骨蒸し。

これぞ鯛ソーメンと並び称される戸田本店の逸品である。
身はしっとり、出汁は柚子の風味をたっぷりと溶け込ませた秘伝のもので、
「自慢の汁なのでたっぷり飲んでください。」とお店の方の弁。
そもそもタイという魚は体の半分近くが頭であるから古来より頭をいかに美味しく調理するかが
芸予地域の料理人の腕の見せ所である。
鱗がしっかり残ったタイの御頭は慣れていない人には食べにくいであろうが、
是非骨までシャブって食べていただきたい。
五皿目はサザエの壺焼き。

弾力のあるサザエの身と焦げた醤油の香ばしさがたまりません。
六皿目はイサキの塩焼き。

見事なサイズのイサキを一匹丸ごと塩焼きしてある。
塩加減、焼き加減が絶妙で身がほっくり。
これ程魚を上手に焼いてある店は近頃稀である。
七皿目は海老の天ぷら。

このサイズで出てくればほとんど衣かと思いきや、
ほぼ海老の天ぷら。 海老がデカい。 しかもプリプリ感が半端ない。
〆はタイ飯とタイの吸い物。

これも実に美味しい。 タイの骨の出汁は本当に素晴らしい。
デザート。

完熟のメロン。 最後まで一点の隙もなし。
着物姿で接客されている笑顔の素敵な女性が女将だと思っていたが、この方はベテランの仲居さんで、実はこれほどの老舗にもかかわらず、この戸田本店にはいわゆる接客する女将はいない。
80代の女主人がおられるそうだが、ひたすら厨房で料理を作っているのだという。 これには吃驚した。
京師の名料亭をも上回るこれらの料理群を専属の料理人ではなく老女主人が全て作っていたとは!
お造りも焼き物も煮物も全て自分自身の技だそうで、後継ぎの女将(次期女主人)の腕も素晴らしいそうだが、大宴会などの大皿で供される活き造りなどはまだまだ大女将の包丁の冴えには遠く及ばないという。
手伝いの料理人が一人いるそうだが、全てこの三人で作っているという。
まったく凄い店である。

冒頭に記した15%のサービス料であるが、予約した時点では正直割高感を禁じ得なかったが、全ての料理を食べ終えた今となってはむしろ破格であるとさえ思えるのである。
これ程の建物、これ程の接客、これ程の料理がサラリーマン割烹に毛が生えた程度の価格で提供されているのは驚きである。

19世紀に開業し、激動の20世紀を駆け抜け、21世紀の今日まで看板を守り続ける戸田本店。
これは広島県というより日本の財産とも言うべき老舗である。

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