壬生の花田植(1)
6月3日日曜日の話
広島県北広島町の伝統行事「壬生の花田植」を見学しました。
昨年の11月にユネスコの世界無形文化遺産に登録されたニュースも手伝ってか、もの凄い見物客で、地元の方に「毎年こんなに多いんですか。」と聞くと、
「いや、今年は特別です。去年の倍以上かもしれない。」とのことでした。
さて、日本酒がテーマのこのブログで何故壬生の花田植を扱うのか、ですが、
熱燗放浪記を始めたのは、日本が誇る酒の文化、熱燗の文化というものを自分なりに掘り下げていき、その魅力を発信していきたい、ひいては日本そのものの伝統や文化の素晴らしさを自分自身で再確認したいという気持ちの表れでした。
壬生の花田植は、太古の昔から今に至るまで、日本の食の根幹である稲作に根差した伝統行事であり、豊作を神に祈った昔の人々の大切な儀式でした。
酒造りも元をただせば米造りであり、そのルーツは一つです。
この広島県の山間部に脈々と受け継がれてきた素晴らしい伝統である「壬生の花田植」を理解することは、稲作文化はもちろんのこと日本の歴史や日本人そのものを理解することにもつながると考えた所以であります。
6月3日日曜日、広島経済同友会の文化振興委員会が企画した「壬生の花田植」視察会に参加させていただくことになり、広島県庁前に9時半に集合、チャーターしたバスに乗り現地に向かいます。
約1時間で目的地たる北広島町に到着しました。
日頃は静かな山間の街も、この日は大勢の観光客で賑わいます。
軒先には花田植の幟が掲げられ、壬生商店街では1頭の飾り付けが終わった牛が我々を出迎えてくれます。



途中で昔の農機具や花田植に関連した道具なども展示してあります。

風情ある食堂に入り一杯やりたいという欲望を抑えつつ、

飾り牛の準備会場である壬生神社に向かいます。

牛達はよほど訓練されているのか、金箔が施された見事な鞍や帯で飾り付けが終わるまで、いい子にしています。


11時を過ぎると、地元の壬生小学校5年生達が子供田楽を披露しながら商店街を行進します。26人の5年生達は、この日のために1年間練習し、大役を終えると今度は4年生にバトンタッチされるそうです。


こちらの渋い食堂もひっきりなしにお客さんが出入りしてます。

この日だけで平日の数十倍の売り上げがあるのではないでしょうか。
私も暑いのでジュースを買いました。 クリームソーダなんですが、こんなジュースがあるんですね。

さて、近くの公民館で準備していただいた弁当やビールで腹ごしらえをしながら、本日案内役をしてくれた神戸大学の大学院生の方(壬生の花田植の研究をしているそうです。)の説明に耳を傾けたり、パンフレットに目を通します。
広島県北西部の農村地帯には古くから「囃し田」という行事があり、特に壬生の大地主が所有する田で行われた「大田植え」は、江戸時代後期から明治時代にかけて、この地方最大の「囃し田」として近郷にその名を知られていたそうです。
しかしながら昭和になる頃、残念なことに、いったん消滅してしまったそうです。
その後地元の壬生商工会の人たちが中心となって「壬生の囃し田」が再興されました。
その頃から花やかで美しい田植えという意味で「花田植」と呼ばれることになったそうです。
さあ、いよいよ花田植の本番の見学に向かいます。(以下パート2に続く)
広島県北広島町の伝統行事「壬生の花田植」を見学しました。
昨年の11月にユネスコの世界無形文化遺産に登録されたニュースも手伝ってか、もの凄い見物客で、地元の方に「毎年こんなに多いんですか。」と聞くと、
「いや、今年は特別です。去年の倍以上かもしれない。」とのことでした。
さて、日本酒がテーマのこのブログで何故壬生の花田植を扱うのか、ですが、
熱燗放浪記を始めたのは、日本が誇る酒の文化、熱燗の文化というものを自分なりに掘り下げていき、その魅力を発信していきたい、ひいては日本そのものの伝統や文化の素晴らしさを自分自身で再確認したいという気持ちの表れでした。
壬生の花田植は、太古の昔から今に至るまで、日本の食の根幹である稲作に根差した伝統行事であり、豊作を神に祈った昔の人々の大切な儀式でした。
酒造りも元をただせば米造りであり、そのルーツは一つです。
この広島県の山間部に脈々と受け継がれてきた素晴らしい伝統である「壬生の花田植」を理解することは、稲作文化はもちろんのこと日本の歴史や日本人そのものを理解することにもつながると考えた所以であります。
6月3日日曜日、広島経済同友会の文化振興委員会が企画した「壬生の花田植」視察会に参加させていただくことになり、広島県庁前に9時半に集合、チャーターしたバスに乗り現地に向かいます。
約1時間で目的地たる北広島町に到着しました。
日頃は静かな山間の街も、この日は大勢の観光客で賑わいます。
軒先には花田植の幟が掲げられ、壬生商店街では1頭の飾り付けが終わった牛が我々を出迎えてくれます。



途中で昔の農機具や花田植に関連した道具なども展示してあります。

風情ある食堂に入り一杯やりたいという欲望を抑えつつ、

飾り牛の準備会場である壬生神社に向かいます。

牛達はよほど訓練されているのか、金箔が施された見事な鞍や帯で飾り付けが終わるまで、いい子にしています。


11時を過ぎると、地元の壬生小学校5年生達が子供田楽を披露しながら商店街を行進します。26人の5年生達は、この日のために1年間練習し、大役を終えると今度は4年生にバトンタッチされるそうです。


こちらの渋い食堂もひっきりなしにお客さんが出入りしてます。

この日だけで平日の数十倍の売り上げがあるのではないでしょうか。
私も暑いのでジュースを買いました。 クリームソーダなんですが、こんなジュースがあるんですね。

さて、近くの公民館で準備していただいた弁当やビールで腹ごしらえをしながら、本日案内役をしてくれた神戸大学の大学院生の方(壬生の花田植の研究をしているそうです。)の説明に耳を傾けたり、パンフレットに目を通します。
広島県北西部の農村地帯には古くから「囃し田」という行事があり、特に壬生の大地主が所有する田で行われた「大田植え」は、江戸時代後期から明治時代にかけて、この地方最大の「囃し田」として近郷にその名を知られていたそうです。
しかしながら昭和になる頃、残念なことに、いったん消滅してしまったそうです。
その後地元の壬生商工会の人たちが中心となって「壬生の囃し田」が再興されました。
その頃から花やかで美しい田植えという意味で「花田植」と呼ばれることになったそうです。
さあ、いよいよ花田植の本番の見学に向かいます。(以下パート2に続く)
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